(海賊版)【ゆっくり文庫】 中島敦 「名人伝」
①、はじめに
最初に一言。
動画を見て、さらに編集後記まで見に来てくれてありがとう!
コメントで「編集後記が見たい」とリクエストを頂いたから、喜んで書いたよ! ただ、私は動画を投稿したのも初めてで、当然ながら古典文学の翻案動画の編集後記なんて書いたことがなかった。素直に白状すると、何を書くべきか決められなかったのだ。もちろん、本家本元のゆっくり文庫さんの編集後記を全部読んで、パクr……参考にしようと思った。しかし、視聴者の皆さまからしてみれば、二番煎じの解説など退屈でつまらないだろうし、何より私が書く必要がない。
悩みに悩んで、twitter上でアンケートを取って、みんなに書く内容を決めてもらった。

その結果、今回は「私にとっての「名人伝」」というテーマで書くことになった。(裏設定が知りたい!動画作成奮闘記が読みたい!とリクエストしてくれた方には申し訳ない)(そのうち、気が向いたらtwitterで垂れ流すかも?)
②、私にとっての「名人伝」
初めて「名人伝」を読んだのは中学生のときだった。
当時の私は本当の意味での挫折を知らず、自分も天才になれると思っていた。そのための努力はメチャクチャした。正直言ってキツかった。神様に「中学生の頃に戻してやろうか?」と尋ねられても、私は迷わず首を横に振るだろう(笑) とにかく、中学生の私は「若き天才」という視点で「名人伝」を読んだ。
とても面白かった。
若者の才能が修業によってグングン開花していき、師を越え、天下一の名人となる。
私も「こうなりたい!」と憧れた。
それから十年ほど過ぎ、その間に私は幾度となく挫折を経験した。
凡人の自分に苛立ち、自分を怨み、呪った。自分の限界を認めたくなかった。しかし、結果は一切ついてこなかった。天才になりたくて、天才たちに近づいて、彼らの真似をして過ごした。そうやって生きれば生きるほど自分の器を思い知らされた。自分は天才ではない。彼らが私の手の届かない世界に行ってから、ようやく私は自分と向かい合うことができた。
久し振りに「名人伝」を読んだ。
今度は「天才になれない凡人」として読んだ。
悔しいことに、天才の傑作は昔以上に面白かった。純粋に射の道を歩ける紀昌が眩しかった。射で生活できる飛衛が羨ましかった。ああ生きられる人々の姿の美しさに比べれば、「不射之射」が本物かどうかなんてどうでもよかった。私もこうありたかった! こういった生涯を送りたかった……! 私の魂の一部は昔と同じように叫んだ。
しかし、十年の歳月が育てた別の部分は静かに微笑んでみせた。
「私は紀昌ではない。だからこそ面白い」
凡人だろうが天才だろうが、やれることをやるだけだ。そこに貴賤の差はない。紀昌は天下一の弓の名人だが、彼の食べる食料は誰が作っている? どこにでもいる凡人だ。彼の服だって、住む家だってそうだ。紀昌の「不射之射」だって凡人に支えられた技なのだ。そういうことを考えると、甘蠅老師は次元が違う。あの域まで行ってしまうと、おそらくもう人里で生活できないに違いない。……悲しいことだ。
そういえば、『列子』の中にこんな話が出てくる。
老子の弟子が地方の役人に質問される。
「老子は至言去言と言い回っているそうだが、そういう老子本人もその境地には達せないのかね?」(※至言去言……言葉を極めたら言葉を必要としない)
「いいえ。先生はやろうと思えばいつでもその域に達せます」
「それなら、なぜやらないんだ?」
弟子は「先生には先生の考えがあるのでしょう」とお茶を濁した。
私はこの話に魅かれた。
それを目指して、切望しても届かない人間がいる一方で、なれるけど敢えてならない人間がいる。
不思議と腹は立たなかった。そりゃそうだろう、と納得できた。人殺しの才能があるからといって、殺人鬼にならなきゃいけない道理はない。「不射之射」を体得できるけど敢えてやらない。そういった選択肢を頭に入れた状態で「名人伝」を読み返すと、飛衛に目が留まった。どうして飛衛は甘蠅老師の技と居場所を知りながら、彼の元で学ぼうとしないのだろうか? 答えはわかっていた。飛衛もまた、紀昌ではないのだ。
私は私だ。
胸を張って生きよう。
翻案動画の編集後記なるものを初めて書いた。
普段書く文章より「自分」を多く出したから少し恥ずかしい。調子に乗って書き過ぎたような気もする。ゆっくり文庫さんならもっとスマートにまとめられたことでしょう。しかし、これが私なのだ。私は私に作れる動画を作り、書ける文章を精一杯書く。次はもっとうまくできると信じて。
楽しんで頂けたなら幸いです。